大連港
「北方の真珠」と呼ばれる中国有数の港町大連は、アカシア並木の美しい異国情緒あふれる街。
戦前多くの日本人が住んだ。
不凍港のため、帝国主義時代には交通の要所として、ロシア、日本をはじめ列強の争奪の的となった。満州国時代は日本から満州への移民者の玄関口として栄えた。第二次大戦後、大陸からの引揚者の多くがこの港から舞鶴へ帰国した。
現在、上海に次ぐ中国第2の規模の貿易港。旅客ターミナルも設けられ、天津、上海、青島などへ向かう海の玄関口ともなっている。

防波堤灯台

大連港待合所

埠頭への渡り廊下

埠頭








旧大和ホテル(大連賓館)
南満州鉄道(満鉄)は日露戦争によって獲得した鉄道経営権を元に設立されたが、長春〜大連間を縦断する満鉄線を欧亜連絡鉄道に組み込んで上海・香港航路へと繋げる一大幹線とするためには、その沿線に西洋人が快適に滞在できるホテルを確保することが必須であった。初代総裁・後藤新平が掲げる「文装的武備」の思想の下で多角経営を進めた満鉄は、ホテル網の展開も率先して進めていった。こうしてできたヤマトホテルは西洋人旅客を招致するとともに、満鉄の迎賓館としても機能する西洋式の高級ホテルとなった。しかし、満鉄はホテルを鉄道事業と満州開発を支える手段と考えて採算を度外視したため、ホテル事業単体では利益の出ない体質だったとされる。1928年(昭和3年)1月1日に旅館事業と食堂車経営を満洲旅館株式会社(資本金800万円)として独立させたが、1931年(昭和6年)4月1日には再び満鉄直営に戻している。満鉄は1945年(昭和20年)の敗戦に伴い解体されたが、一部の旧ヤマトホテルは現在もホテルとして営業を続けている。
(wikipediaより)


大和ホテルの由来説明文

中国の重要文化財

今は「大連賓館」と名前を変えた
外観前景 正面玄関 重厚な室内の装飾



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