外出介助ボランティアサークル「にこにこ」

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人生に幾度となく訪れる逆境、心にしみる言葉はそれを乗り越える知恵と勇気を与えてくれます。
そんな言葉に出会ったり、感じたとき、このページに書いていこうと思います。
  

7月14日
紫藤会
信楽先生の
お話を聞いて
見えていない命の尊さ

あなたの一番大切なものはなんですか?
という調査をしたら欧米では85%の人が宗教。続いて家族。友人と続いたそうです。
日本人は一番は財産。2番、3番は同じでなんと宗教を大切、とした人はわずか5%という
低さだったそうです。
この数字がどこまで正しいものか分かりませんが、かなりの低さだと思いました。
最近、給食をいただくとき、お金を払っているのになぜ「いただきます」というのかと
いうことが取りざたされ驚かされたことがありました。

生活が豊かになり、お金さえあれば全てが当たり前のように手に入る。
言い換えればそれは自らの力で得たものという考えが普通なのだろう。

そこに宗教がかかわると、人が生きていくためには口にする全てのもの、
それは動物であっても植物であってもその命をいただかないと生きていけないと
言うことに気づくはずである。
だから「あなたの命をいただきます」なのではないだろうか?
見えないものに心の目で尊いと感じる力こそが宗教の力なのではないかと、
そして、そこに争いのない穏やかな精神も養われていくような気がする。

7月12日

徳を身につける実践とは

我が家の鴨居にかけられていた額を何気なく見ていた。「観音行、徳を身につける実践」
見慣れていたがなぜかその言葉がとても新鮮に思えた。
こんなふうに書かれていた。
@ 人が喜んでくれることを人にわからないように自分を隠して行う。
A 怒らないように、威張らないように、早まらないように。
B 人の意見を先によく聞いて、人を尊重し、自分のことは常に後にする。
C 苦難を避けたり、逃げたりしない。
D 人の嫌がることは自分が引き受ける。
E 大きな声でどなったり、人を傷つけない。
F 出来るだけニコニコしておもしろいことを言ったり、聞いたりすることを楽しむようにして行く。

ぅう〜ん!なかなか簡単なようだが難しいことだ。これはボランティア精神に通じることで
とても大切なことだと思った。一つでも二つでも実践できるといいな!

7月5日

言葉の力

★いつだったか、どこだったか忘れたが、心に残る言葉に出会ったときノートに書き記した言葉である

愛は愛を呼び、憎しみは憎しみを招く。
優しい心や、思いやりの心は相手の優しい心、思いやりの心を引き出す。
攻撃すれば相手も感情的になって反発する。
言葉の力は、人を豊かにする無限の力がある。
思いやりとは、自分がしてほしくないことを人にしてはいけない

6月2日
川村みょうけいさんの世界一ホッとする尼さんのいい話を読んで・・
傘という文字からこんなことが・・・

屋根の中心に人が左右に入っている形をしています。
もし片方に傘をかたよせたら、
自己満足でかえって相手に気を遣わせたり、
不満に思わせたりしてしまいます。半分づつ入って半分づつ濡れる・・・
一つの傘の中で助け合ってともに生きる世の中でありたい。と
わたしたちがボランティアをする上においても心がけなければいけないことだと思いました。

辛いという字と幸せという字は似ているけど?

人生はなかなか平坦な道ばかりではありません。
計り知れない悲しみに襲われることもありましょう。辛いとき悲しいとき人は
いっぱいいっぱい涙を流します。でもその涙の一滴が必ず幸せへ導いてくれるのです。
春が来るとやっとその暖かさが分かります。
暑い夏を耐えたからこそようやく涼しさを実感できるのです。
はじめから春はありません。はじめから幸せもありません。
辛さを経験してこそ幸せに変わるのです。
障害を乗り越えてこそ幸せが導かれたと感じています。

4月21日

 笑える話
あるところに欲の深い男がおりました。その男にあるとき侍が
100両で試し切りをさせてはくれまいか?と言われ、なんとかその100両が
欲しくて欲しくてたまらない男は一晩考えました。
そしてその男の出した答えは
「50両で半殺しにして下さい。」と・・

これは笑い話ですが、心貧しい人間の欲深さを極端におもしろく伝えたお話ですが
心豊かに人生を終わりたいと思うことでした。

2月18日
紫藤会
加藤先生の
お話から
「当たり前」という言葉の反対は?

みなさん「当たり前の反対はなんですか?」と聞かれたらなんと答えますか?

「普通」でもないし、「奇遇」でもないし・・、なんだろう?
簡単なようでも分からない。考えていると意外な言葉が返ってきました。
それは「感謝」です。
どうして・・?と思っていると
あることが難しい。つまり「有り難い」「感謝」だそうです。
な〜るほどね!
 現代の人々は不自由であると感じることが少なくなりました。
あることが当たり前で、物質的にも精神的にもそれが満たされないとなると
誰かのせいにしてしまいたくなるそうです。
 たしかに「当たり前」と感じれば不幸に思えるけれど、感謝の気持ちを抱けば幸せに
思えるものですよね。
「かげ」に「お」と「さま」をつけて「おかげさま」という日本の美しい言葉。
感じることのできないさまざまなものへ感謝の気持ちを表してきた優しい日本人の心遣いを
いつまでも見失わないようにしたいものだと思いました。

1月26日
「見真」12月号
より



「人生には無駄なことは何一つありません。」

「死を超えた願い」と題され、死に行く人の願いはなんでしょうか?と問いかけています。
 癌を告知され、消え行く命の灯を、母親として3人の幼子に残して行かれた命の言葉に
出会いました。
{前文略}
 死は、多分それがお母さんからあなたたちへの最後の贈り物になるはずです。
人生には無駄なことはなにひとつありません。
お母さんの病気も死もあなたたちにとって無駄なこと、損なこととはならないはずです。
 大きな悲しみ、苦しみの中には必ずそれと同じくらいの、いや、それ以上に大きな喜びと
幸福が隠されているものなのです。
子どもたちよ、どうかそのことを忘れないでください。
お母さんの子どもに生まれてくれてありがとう。本当に、本当にありがとう。・・・


母親として最後まで生きたいという希望を持ち続けながら、ただ平安に死ぬことを願ってなど
いません。
死を自覚した彼女には家族への感謝の気持ちが溢れています。
限りある命を自覚したとき一つの命は限りなく尊いものになって行きます。
人は誰しも一人で生きているのではありません。
他の誰かに、そして自然に生かされているのです。

このようにいつかはみな「いのちの故郷」へ帰っていくのでしょう。
死しても永遠の命となって子どもたちの中に、消えることのない限りない慈愛を育んでいくことでしょう。
1月19日



感謝の気持ち
 浄土真宗であるわたしは親鸞様のご命日にあたる「おたんや」のお説教を聞きに行きました。
そこに座ることで、いかに自分が見えてないか、自分を見つめなおす場所でもあるわけです。
教えが自分の生き方にかかわること、それが宗教だと思うのです。
 受け取ろうとしないものにはなにも伝わってこない、そんな空っぽの人生なんてなんかむなしい!

 美しい花を見るとき、花を咲かせる根っこのことを誰が考えるだろうか?
大きな樹を見上げてもその下で枝と同じくらいの根っこがあることに気づく人がどれほど
いるだろうか?
目に見えない多くの働きがあってこそ大きく、美しく、気高くなっていくのではないだろうか。

 犯罪の多い昨今ですが、自分のことしか考えられない人が多いことがとても気がかりです。
 まず、きょう命のあることへの感謝を忘れないで、何事をも受け止め、受け入れ、人として
 恥ずかしくない日暮をしたいと 思うことでした。

 
1月6日



年頭に想う
 寝床で迎えた2008年の元日は、初日の出の少し前6:44分本栖湖の上空からテレビ中継の
ところで目覚めました。
なんとも厳かな瞬間に目覚めたことを幸運に思いながら富士山上空の初日の出の瞬間を迎えました。 6:48分、ついにダイヤモンドのような輝きを見たとき、思わず、
「世界が平和でありますように・・・」と祈りました。
その年の初めに昇る大きな大きな太陽は、年神さんが上がってくると言われるそうです。
この美しい地球がいつまでも、いつまでも美しく輝いていて欲しい。
みんなで守らなければならない。
そんなふうに思ったのです。
昨年はいろんな災害や事件、事故で渦巻いた一年でした。

よい一年でありますように・・・

12月24日
BIWA−枇杷ー
大西まさえさんの詩集より
今年も無事でありがとう〜
 
 若い頃全身性エリテマトーデスという難病を発症され、長い闘病生活の後、さまざまな経験の中で育まれた思いを詩集にされた大西まさえさんという方の「舟旅人」から。

 冒頭の「今年もありがとう」から始まり、この一年間が何事もなく穏やかに静かに終わっていくことへの感謝の言葉が述べられている。

 穏やかな川の流れのような生活の中で出会った人々の横顔をつらつらと思い出す。
ゆっくりと川を下る私の舟の横を行き過ぎる人々はみな笑顔で、時に漕ぎ疲れた私に手を貸してくれたり、流れの分かれ目に逢う私に案内をしてくれたりしながら、いつしか「今日」へと導いてくれた。
 この小さなたよりない舟を私は一人で必死で漕いでいるつもりだった。
だけどそれでは今日の日までたどり着けなかっただろう。
 並んで川を行く多くの小舟たちの助けと励ましがあったからこそ漕ぎ続け、進み続けられたのだ。
その感謝と優しさを心に刻もう。
人生の船旅、助け合い喜び合い。
一人旅では決してないあなたとだれかと連れ合いの旅。
 私の旅は新しい年に向かって進む、又誰かに助けられながら。
そして私も誰かを助け、支えながら、新しい「明日」へ向かう。お互いの旅の無事を祈り、行く川の流れが穏やかであるよう願おう。

11月14日
娘に送った
手紙より
子育て中のお母さん!

「最近こんないい話に出会いました. と始るこの文章、以前私が娘に送った手紙です。

  子育てに追われる日々を送っている若いお母さんが、ふと月日がむなしく過ぎていく事に不安を抱きはじめこんな事では自分が社会から遠ざかって行ってしまうのではないかと悩むようになり、その事ばかり考えるようになったそうです。
. 
あるときその事をご主人に話されたところご主人は、

 ”お母さんは(奥さまのこと)この家の太陽なんだよ、私は月。太陽に照らされて初めて光ることができる月なんだ 月は一人では輝くことなどできないんだ。
それに太陽は植物を育てる事ができるだろう?
その植物は子供たちなんだ。

   暖かい光を隅々まで届けてやれるのは、お母さん、君しかいないんだよ。
と奥さまにそう話されたそうです。


 これを読んだとき世の中にはなんとすばらしい男性がいるのでしょう。
   
こんなご主人を持たれ奥さまはほんとうに幸せな方だなあと思いました。
    この言葉、ほんとうにすばらしいと思いませんか?
 子育て中の現役のお母さん!
 太陽のようにいつも暖かく、にこやかに家族を包み込んであげてくださいね

8月 29日
天理時報の
「人間いきいき通信」
より
価値観のちがい

 「夫と桃とクーラー」というタイトルで夫婦のおもしろい一場面が載っていた。それは・・・

 夏のある日、友人から桃を一箱いただくことになり、炎天下に駐車してある車からこのお話は始って行く。
 妻はいつも発車直前にクーラーをつける夫に不満を持っていた。
ところがこの日は桃のために車内を涼しくしていたので、つい
 「わたしがいくら頼んでもクーラーをかけてくれることはなかったのに、桃のためにはちゃんとクーラー
かけて!わたしより桃のほうが大事やったんやね〜」とするどい発言。すると夫は
 「そりゃそうや、今までおまえと桃とどっちが大事かなんて聞かれたことなかったもんな」。
そこで すっかりこの夫婦、戦闘状態になってしまった。

 そのあと、運がいいのか悪いのか「夫婦のシンポジューム」に二人で出席することになっていて、
打ち合わせに出席していたとき、司会の方が
 このごろは些細なことでもすぐ離婚するカップルが多いですが、夫婦仲良く治めて通るにはやっぱり
日々の思いやりをもって通らねばいけませんよねぇ」と雰囲気を察してかのように言われた。
すると夫はすかさず
「思いやりを持ち続けるなんてそれは無理です。軽い「やり」でも三日も持つと疲れますよ」「・・・・・・」
しばらくして一同大爆笑。夫婦喧嘩もどこかへ飛んでいってしまいました。

 桃のほうが大事、と言われ腹を立てて離婚したのでは私は桃に負けたことになる。
桃になんか負けていられない。夫と私の価値観はまったく違うのだ、ということに気が付いた。と・・・
そのあとが少し続きますが、

 「夫婦喧嘩は犬も喰わぬ」と昔の人からよく聞いていたが、第三者からみるとまさに犬もよけて通るような
話である。笑って済ませる話もとり方によっては大きな「事」に発展するのだろうなと思った。
夫婦に限らず親子間、友人などコミニュケーションを上手にとるためには、発想の転換が大事。
細かいことに囚われない事。そして価値観はみんなそれぞれ違うんだということ。

楽しみながら学ばせてもらった。

7月 9日 便利で不便な世の中

この世に生まれて一番便利で暮らしよい時代に、わたしたちは身をおいているんだろうなと思うのに
近年考えられないようなおぞましい事件が、毎日のように報道されているのはいったいなぜなのだろう?
この言いようのないむなしさ、喪失感は一体なんなんだろう?

 便利さだけを追い求めた結果、人や物に自分を合わせることが苦痛になり、気を遣わなくていいことが一番
よしとし、不満に思うことだけによく気がつくという,まさに自己中心的な人たちであふれている。
 この思いやりのない社会はいったいどこまで、そしてどうなっていくんだろう。

 人とのコミュニュケーションがとれない人。社会に出ても困難に立ち向かえない子どもたち。
そして思い通りにならないと言ってすぐ逆上する人たち。こんな社会に子や孫を送り出したくないと思う。

 さらに、この地球上には人間以外にもありとあらゆる生物がいるにもかかわらず、まるで人間だけのものの
ように身勝手に過しているわれわれ。
 せめてそれが分かる人間でありたいと思う。

 そうよね。生まれてからこれまで、数限りない慈しみと、育みを受けてきたおかげで今がある。
生まれてきた自分の役割を果たすため、目標を持ってこれからも生きていきたいとそんなことを思う一日
でした。

5月 28日 家出と出家と・・・

どちらも家を出ることには違いないこの二つの言葉であるが
出家の方向からお話をされたことを書いてみます。
 家というものは、もともとわずらわしい場所であり、波風が常に立つところであるらしい。
つまり煩悩が渦巻く場所なのだそうだ。
目的は違うものの、どちらもそのわずらわしさから逃れて家を出て行く様をいっている。
煩悩とは仏教で人間の持つ数限りない欲望のことを言うのだそうだ。

 近年、若者が家を出て路頭にさまよっている姿をテレビなどでよく見るが、わずらわしい家よりも
危険がいっぱいの家以外の場所に逃れて行くのはなぜなのだろうか?
もちろんその人たちの多くは目的などあろうはずはないだろう。

 家庭の崩壊!これが現代人が抱える大きな問題ではないだろうか?
波風を立たせないために、家族はお互いに守らなければならない4つのルールがあるのだそうだ。
それは
@ 相手を喜ばせること
A 戒めを守ること(人として、家族として守らなければならないことがある)
B 健康を保つこと(不摂生から病気になるようなことはしてはならない)
C 一人で喜ぶのではなく一緒に喜こびを分かち合うこと

このお話を聞いて
 つまり温かい心遣いの人間関係がそこにあれば、家庭の崩壊は防げるのではないかと思いました。
せっかく100歳までも生きられる時代に生まれながら、楽しくない人生を延々と送りたくないなぁ〜と
思い、4つのルールを守り温かい家作りを心がけようと思いました。

4月 16日
門送門迎(もんそうもんげい)の精神

こんなお話を聞いた。
あるとき懐かしい友人の家を訪れたときのことである。
昔話に花が咲きアッというまに楽しいひと時が流れた。
時間も押し迫り、おいとましようとしたとき、
友から「まぁ夕食でも一緒に食べよう・・・」と言われ、甘えてよばれることになった。

おもてなしの料理をたくさんいただき、あっというまに夜も更けてきたので
腰を上げ、おいとましようとしたら再びこんどは
「せっかくだから今夜は泊まって帰りんさい」と広島弁でありがたい言葉。

いやいや、これ以上甘えることはできないと、帰ることにして玄関に降り立った。
ていねいにお礼を述べ、今日一日楽しかったことを告げ玄関を出て、
そして温かい友に感謝しながらあとを振りかえった、その時。

入り口の鍵が「ガチャ・・」次に灯りがパチッと消されたそうだ。
今までの温かいものが、無残にド〜〜と打ち砕かれたような気がした。

というお話でした。
これを聞く前から見送るときは気をつけてはいたが、あらためて気をつけよう。
人様を出迎えるとき、見送るときの心構えを教えていただきました。

4月 10日 桜と日本人

品格のある日本人を祖先にもつ私たちは、日本人であることへの誇りを持っている。
近年それが失われつつあって淋しいことだ。

桜は人生の無常を教えている。その教えが日本人の心を捉えてきたように思う。
西行法師のお歌
 「春風の花を散らすと見る夢は、さめても胸の騒ぐなりけり」

このところの陽気で町中の桜が競い合って咲いている。
咲くもよし、散るもよし。その人の心のあり方で淋しくも、華やかにも感じるこの桜、風はなくとも
やがては散って行く現実と重なり合う。
そしてまた厳しい冬を乗り越え、来年もまた美しい花を咲かせることだろう。

しかし私には一度しかない人生、生まれた意味はなんだろう?って・・・
無我夢中でここまできたけど、やっとこんなことが考えられる年齢になったなぁ〜
ボランティアをさせてもらって温かい気持ちになれる自分がうれしい。
「あなたの幸せが、わたしの幸せ」
残された日々、共に喜び合える人生を送りたいと思う。

1月 23日 助けると助かる

年をとるとお話を聞いてもすぐに忘れるのでいつもメモを取ることにしている。
最近いいお話を聞いた。
「おたがいさま」という、おくゆかしい日本の文化が最近廃れてきたというのである。
個人主義を好み、共同体主義をきらう世の中になったから、いま身勝手な犯罪が多発するのだと、その方は語られた。
人には迷惑をかけない。そして自分も迷惑はかけられたくない。つまりかかわることをきらう関係になってくると、それは楽かもしれないけど温かみのない人間関係になってしまう

たとえば人を「助ける」場合は「助かる」人がいて成立する言葉、助かる人がいないところに「助ける」はない。
少しややこしくなったがつまり、助けた人も助かった人も共通の同じ大きさの喜びが味わえる、そこに「おたがいさま」といえる言葉があることになる。
その言葉は、わたしたちボランティアをする立場から言えば、喜びをいただいて喜びを味わうことができる行為なのではないかと思った。つまりここにも「お互いさま」なのだと思った。

とかく善意でも、恩を売られる、と感じたりプライバシーを重んじるそんな世の中は窮屈で温かみのない障害者にとって暮らしにくい世の中になってしまうだろう。
今年もボランティア人生、楽しくをやって行けたら幸せです。

1月 1日 新年に思う
 年を重ねるにつれて私を育ててくれた祖母のことをよく思い出します。
祖母は温厚な人柄で、お聴聞(仏教)したことをよく私に話して聞かせてくれました。

それは、人として生まれたらみな、それなりの業(ごう)を背負って生まれてくるそうな。
苦は乗り越えなければいけない。回避しても形を変えてまた新たな苦が巡ってくる。
かならず因があって縁があるからだよ。
いつも、人が喜ぶことをしなさい。と・・・

5人の子をすべて亡くし、母の悲しみを克服した祖母の口から出る言葉には重みがありました。
とてつもない苦しみに襲われたとき、祖母の苦労に比べれば・・・と勇気が湧いてくるのです。
命とまっすぐに向き合う力を、いま私は孫たちに語りついで行かなければと、彼らの誕生日にはプレゼントと
共に祖母から学んだ,人としての言葉を毎年贈っています。

今年も元気で精一杯、人に喜んでいただけるよう頑張れたらいいなと、今の幸せを感謝しながら新年を迎えました。
11月20日
報恩について
学んだ日
思考回路を変えよう!

人間は猿が進化したものだと言われているが
最近ある学者が
人間は、また猿に近くなっているといったそうだ。
えぇ〜と思って聞いていると、
人間である。ということは
自覚というものを持っていて、他の動物にはない「恥ずかしい」という気持ちを持っている。
これが人間なのだそうだ。

最近キレルということを聞くが、自分が何をしているのか見失い、そして本能のままに
行動する。これは仏教で言う畜生の生態であるのだそうだ。

人中で平気で化粧をする女の子、地べたにペッタリと座る若者の姿は猿・・・?、
恥ずかしいと思わないのだろうか?人としての自覚があるのだろうか・・・?

欲しいものは何が何でも手に入れたい、というむさぼりの心。
思うようにならないといってすぐ腹を立てたり、グチを言ったり、人のセイにしたりする。
そして弱いものをいじめておもしろがる。
最近の世の中、とにかく思考回路が狂っている。

感謝の心が養われていないからだと思う。
なんでも「当たり前」と思うのか?
「おかげさま」と思って日暮しするのか・・・

思考回路を変えてよく考えてみると、何一つこの世に自分の手で作り上げたものはないのだから
すべて「おかげさま」である。

「おかげさま」と喜び、感謝し、思うようにならない世界であることを知ること。
限りある命を大切に、自分自身に目を向けながら生きていって欲しい。と

いいお話に出会った。
10月5日
実践倫理
「宏正会」より
おかげさまを感じていますか?

というタイトルに吸い寄せられた。その文章は次のようなことが書かれていました。

「おかげさまで・・・」という何気ない挨拶をよく交わすことがある。
これは単なる社交辞令ではなく、これまでに結んできた多くの人たちへの「縁」と
そこで受けた無数の「恩」に対する感謝の思いを言い表したものなのです。
人は誰も一人きりでは生きられません。
そのことを「よく知っている人ほど、自分をきょうあらしめているのは
多くの「おかげさま」であることを良く知っています。

7月9日
ある朝・・・

時計の針をジッと見ていた。
一秒一秒何事もなく時が刻まれて行く。
二度と戻ることのない一秒がカチカチと音をたてて、過去となっていく。
一秒の積み重ねの重さを感じる
この先、どのあたりの一秒が人生を変える大きな一瞬になるのだろう?
そんなことを考えながらジッと針を追っていく
今日も静かな「一秒の時」を重ねてください、と祈った。


4月13日 自分らしく・・・
仏教の教えを学ばせていただきました。
私たち人間は、いつも欲望を満たされることの出来ない世界にいる。
楽しいこと、うれしいこともいずれまた苦しみに変わり、その欲望は
果てることはない。

そしてこの世に生を受けた、たった一つしかない自分という尊い命。
たとえそれがわが子であっても変わってやることの出来ない命。
どんなに苦しくとも自分で背負って行かなければならない命。
自分が持っている色が何色であろうとも、自分らしく放っていこう!
しっかりと目を向けて・・・

4月7日
仏教婦人会総連盟
の冊子より

ダーナの実践について
仏教のまごころを伝える布施の教えを実践する「ダーナ」という献金があります。
その資料の中でこんなことが記してありました。

親切ってむつかしい・・・
「ゆとりがなかったらできません」と言い訳をしています。
「してあげた」こころがあると《心から》になりません。
だから誰かに親切にしてもらったときは
こころから「ありがとう」といいたくなるのです。

人と人のつながりの中で、私たちは生かされています。
温かな言葉に私たちは育てられて行きます。
優しい言葉をかけてもらって私は、その言葉を覚えていきます。
にこやかなまなざしが、私にも笑顔を教えてくれます。

お互いが支えあいながらの毎日です。
電車の中で席を譲る。
きょうは、たまたま私がさせていただいたけれど
明日も、これから先もずっと、そうなのですか?

いつか、席を譲られる私になっているはず・・・
だからこそ、できることからはじめたいとおもうのです。

3月14日
お彼岸法要に
参加して
無財の七施
仏教の教えの中に、金品を差し出す布施というもの以外にも人が喜ぶおこないがあるよ。という
無財の七施(むざいのしちせ)のお話をききました。
漢字で書くと、眼施、和顔悦色施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施 

分かりやすく訳すと
@ あたたかいまなざし
A にこやかな表情
B やさしい言葉
C 精一杯のおこない
D いつくしみ深い心
E 人にあたたかい席を
F 気持ちよく迎えるこころがけ

そもそも「ボランティア」の語源は「布施」であろうと思います。
ボランティア活動をしていく上でも、心がけて行きたいものだと実感しました。

2月25日
養心の会
全国中学生に
講述録を贈る
・・
貧困にあえぐアジアの子どもたち
「閉ざされた世界の中で懸命に生きる子どもたち」
こういうタイトルで「NGO沖縄アジアチャイルドサポート」の代表理事の
池間哲郎さんが取材された
本に出会いました。
読んでいくうちに悲しくて涙が止まりませんでした。

世界では今日の食べ物さえも得ることが出来ないほど貧しい人々がいっぱいいるということ、
その中でも、貧困にあえぐ親たちに捨てられた子どもたちがマンホールの中で生活するなど、大変深刻な状況の中で一生懸命に生きている姿を写真と文章で紹介しておられます。
空腹と寒さに震えるその子どもたちの夢は「大人になるまで生きていたい・・・」

わたしたちの食生活、真剣に考えさせられました。
1月10日
仏教法語
カレンダーより

悪いのは自分・・・
お寺からいただいた 仏教法語カレンダーの1月に
「人の悪はとがめるが自分の悪には気がつかない」
とありました。
わたしはすぐに、主人がこれをよく読んでくれれば・・・と思ってしまいました。

ひとりで苦笑いしてしまいました。
12月28日
天理時報
人間いきいき通信より
心の持ち方
私は天理教ではないのですが、どなたかがいつもポストの中に入れてくださっていますので
ときどき読ませていただいています。

表紙には素朴な水彩画が描かれていて、それも楽しみの一つです。
いつも心にふれる言葉や文章が書かれていますが、このたびこんなことが書いてありました。

激しい雨の日に庭先に「たる」と「茶碗」を出したとすると、ちゃわんの方はみるみるうちに
一杯になって器から雨水があふれ出てしまいました。

雨水はたるにも茶碗にも同じ量だけ降ったのです。
つまり、受ける器、言い換えれば自らの心のあり方で姿が変わる。というものでした。

心豊かに日暮をしたいものですね。
9月10日
柳沢桂子さんの
いのちで読む般若心教という番組から・・


野の花のように

苦しいことも苦しいと言わず、
我を誇ることもなく、
無常の世にいて
ありのまま、すべてを受け入れ
楚々と咲く野の花のように私は生きたい

9月7日

祝婚歌だったようですが作者は不明です
いつまでも仲良しの夫婦であるために
二人が睦まじくいるためには愚かでいるほうがいい
立派過ぎないほうがいい

立派すぎることは
長持ちしないことだと気づいているほうがいい
完璧なんて不自然だとうそぶいているほうがいい

二人のうち どちらかがふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい

互いに非難することがあっても
非難する資格があったかどうかあとで疑わしくなるほうがいい

正しいことを言うときは少し控えめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい

立派でありたいとか、正しくありたいとかいう
無理な緊張には色目を使わず
ゆったり、ゆたかに光を浴びているほうがいい

健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに、ふと胸が熱くなる
そんな日があっていい

そしてなぜ胸が熱くなるのか
黙っていても二人にはわかるものであってほしい

8月19日 言葉との出会い
逆境にあるきは、人の事を考える余裕はなく、安住を求め、心に響く言葉を
探し求め、本を読み漁りました。
おぼれるものワラをも掴む・・の心境でした。
そのときに出会った言葉は、海綿のように心の底に深く深く沁みていきました。
きっと心の栄養になっているのだと考えます。

そういえば最近本も読まなくなったなぁ〜と、ふと気が付きました。
おかげさまで今は順境のとき。
お腹がいっぱいで心にゆとりがあるとき。
こんな時は人さまに喜んでいただけるよう、体を動かして行こうと思います。

7月3日 「いただきます」の心
私が子どものころ、食事をする姿勢のことを親からよく注意されたものです。
親になって子や孫が食事をするとき、やはり美しい姿でして欲しいと思うようになりました。
手を合わせて「いただきます」
その言葉の前には「あなたの命をいただきます」。
あなたからいただいた命によって私は今日まで生きていることが出来ました。
ありがとうございました。
という謙虚な気持ちがこめられます。
食べ物が今のようにあふれている時代では、あることがあたりまえでそんな風になかなか
思えないことかもしれませんが、もしこれが何日も食べていなかったとしたら、自然に手が合わさる
ことでしょう。
「金子みすず」の海の底の「いわし」のように、見えないものへの思いやりや慈しみの心を持ちたい
ものです。

7月1日
相田みつを
作品集より
ただいるだけで
あなたがそこに ただいるだけで
その場の空気があかるくなる

あなたがそこに ただいるだけで
みんなのこころが やすらぐ
  そんなあなたにわたしもなりたい
6月28日
朝枝思善先生の「いのちいっぱい咲きんさい」より
値打ちのある日暮しを
どんなにハンディを持っていようが、苦悩の中にありながらもうれしいことを沢山もち、価値のあるものに
出会ったところに完全燃焼の人生があります。
生きていることの尊さを感じるとき、咲き開いた人生のすばらしさがあり、いのちが輝くのです
 
5月24日
豊平町浄土寺の
朝枝思善先生の
講座に参加して
苦しみや悩みを持たなければ生きられない私たち。
一度も悩みや苦しみを味わったことなどない・・・そんな人はどこにもいないはず。
その苦しみや悩みは、人生を乗り越えるだけのたくましさ、勇気、闘う力を与えてくれるのでは
ないでしょうか。
生きたくても生きられない人もいれば、死にたくても生きねばならない人、みんなそれぞれ与えられた
人生があります。
大切な大切なきょう一日を
 ・  明るく生きる。
 ・  たくましく生きる。
 ・  仲間と生きる。
 ・  畏れなく生きる。 
注:(物事に囚われず、どうどうと生きるということ)
 ・  どこまでも生きる。
若くして、
がんで亡くなられた方の手記「病んで思うこと」から
生きることも死ぬことも決して自分の思い通りになるものではありません。
だからこそ、きょう一日の尊さ、日常の小さな出会いや、何気ない会話のなかにある幸せを忘れては
ならないと思うのです。
多くの「おかげさま」をいただいて今日があることに手を合わせつつ、これからの日々を大切に大切に
歩みたいと思っております。
ハアスゴオ
って???
ハアスゴオってなんだと思いますか。
人と人とがこの世で、平和に暮らしていくための大切な言葉があります。
     ハイという 素直な心
 ア    ありがとうという 感謝の言葉
 ス    すみませんという 謙虚な心
     ごめんなさいという 素直な言葉
 オ    おかげさまという 感謝の心  

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