この分科会は,「男らしさ」という観念にとらわれることによって,女性だけでなく男性にも窮屈な世の中ではないですか?というのがテーマでした。
まず,「らしさ」にとらわれるとどういうことになるかを端的に表したゲームの話がありました。それは,「後出し負けじゃんけん」というもので,やり方は,二人一組になり,先出しする人後出しする人の役割を決めます。先に出す人は普通にパーとかチョキを出します。そして,後出しをする人は,先に出した人にわざと負けるようにじゃんけんをしていきます。すると,多くの人は,じゃんけんは,勝つものであるという固定観念が強いため,後出しでもなかなか負けることができません。このように,子どものころから植えつけられた固定観念は脱却しにくいということが,このゲームを通して知ることができます。
男性は,「男らしさ」の象徴である若さ,強さ,健康,性的能力などの縛りがあり,自分の弱さや老いをなかなか認めることができません。また,認めることによって自分のアイデンティティがなくなるため,認めたがりません。特に,仕事が生きがいである人は,リストラ,定年退職などで業績,地位,名誉,お金が奪われてしまったときにアイデンティティを失いがちです。本当に男性は弱音を吐いてはいけないのでしょうか。仕事やその他のいろいろなことのストレスを同僚と飲みにいったり,ゴルフなどのスポーツで発散できる人はまだいいのですが,そのような方法でストレスを発散できる人もできない人も妻にだけは愚痴を言うことができないというケースが多いようです。
男性は,一番身近な存在である妻にも「男らしさ」を見せないといけないという気持ちが強く,夫婦間でストレスがたまっていき,些細なきっかけで爆発し,DVに発展していくという例もあります。妻にしてみれば,何故こんな些細なことで夫が怒っているのか分からないのですが,実はこうしたストレスの積み重ねが妻へ向いてしまうというDV加害者も少なくありません。また,弱音を吐けないため,「自分は,大丈夫。」という癖がついて病院にもいかず過労死する例もあります。
男性は,「男らしさ」というヨロイをまといこのように我慢していかなくてはならないのでしょうか。「男は仕事,女は家庭」という考え方により,男性自身の行き方も仕事中心となり窮屈な人生になっているのではないでしょうか。こうした,状況を打開するためにも,「らしさ」という概念にとらわれることなく自由に生きてみることも必要なのではないかと思います。
「男らしさ」,「女らしさ」という言葉や行動は決して悪いことではないと思います。男らしくありたい人,女らしくありたい人は,そのような生き方をすればいいだけで,それを望まない人に対し,「男はこうあるべきだ」,「女性はこうあるべきだ」という押し付けを改めるべきだと思います。それが普通だからという価値観とは何か。今一度問い直してみる必要があるのかもしれません。例えば,スタンダードな考え(俗にいう『普通』)からいえば,「結婚,子育て」という形が一般的で,「結婚しない人」,「結婚しても子どもを生まない人」,「離婚する人」という人は規範から逸脱している人であるというこの構図も,どの選択をした人もそれぞれを認めるべきであり,男性も女性も自分の価値観に当てはめて他人を判断するのではなく,自分の価値観は大切にしながらも,多様な他人の価値観,考え方を認める社会であるべきだとこの分科会を受講して考えることができました。 |